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【 コラム 】

NewPeople 吉田猛氏と語る「サンフランシスコ流のコミュニティの活かし方」

2019年12月10日

New People, Inc.の吉田猛氏は、サンフランシスコに拠点を構え、カルカルと一緒にコラボを重ねてきたキーマンの1人です。グローバルにビジネスを進めていく上で生きてくる、カルカルとNew Peopleだからこそできる「サンフランシスコ流のコミュニティの活かし方」とは何か。サンフランシスコ現地で2015年以降数々のコラボレーション施策を展開している東京カルチャーカルチャーのコミュニティ・アクセラレーター・河原あずが対談して伺いました。


河原あず(左)と吉田猛さん(右)

スタートアップを創るような感覚で生まれた世界一のおせっかいフェス「J-POP SUMMIT」

河原あず(以下、あ): 今日はよろしくお願いします。改めて、自己紹介からお願いできますか?


吉田猛(以下、よ):
 はい、New People, Inc.の吉田猛です。仕事としていることを、永遠の文化祭実行委員、もしくは日米を繋ぐイベントプロジェティスタ(=イベントのプロジェクトマネジメントのプロフェッショナル)と表現しています。ぼくは元々ホリプロにいて、藤原竜也や高畑充希などのマネージャーをやっていたんですが、国連で働きたいと一念発起しイギリスで修士の学位を取得、その後JICA(国際協力機構)のガーナ拠点で働いて、その後外務省に入って霞が関とシカゴの総領事館で働きました。その後国連で働く流れだったのですが、やっぱり自分にはエンタメが合っていると思ってエンタメ業界に戻ってきて、今は米国サンフランシスコにて、大小問わずフェスや展示会、イベントやコンサート等の企画・制作・実施・運営をしています。

あずさんに初めて出会ったのは2014年3月頃のシリコンバレーで、北米伊藤園でお~いお茶を広めて活躍していた角野賢一さんがつないでくれたのが始まりでした。その頃、ぼくはリアル脱出ゲームをシリコンバレーに持って行くという事業のサポートがうまく行き始めた頃で、お台場に当時あったカルカルでもちょうどリアル脱出ゲームのイベントをよくやっていた頃だったので、その話で意気投合しましたよね。イベント屋同士のシンパシーを感じたんです。ただ、実際に仕事で関わるところまでは時間がかかりました。

 

あ: 「また連絡しますね~」と言って別れてから、半年間それっきりでしたね(笑)。

 

よ: あずさんと一緒に仕事をするようになったきっかけは、その頃ぼくが運営していた日本の漫画、アニメ、音楽、食、旅行などを扱ったポップカルチャーの祭典「J-POP SUMMIT」でした。そのフェスをスタートして数年が経っていて、ぼくの中で「シリコンバレーがIoTやテクノロジーというキーワードで注目されているのにJ-POP SUMMITにはそのジャンルがなくていいのだろうか」という違和感のようなものを感じていました。今では日本でもだいぶ知名度の上がったSXSW(※サウスバイサウスウェスト。アメリカのテキサス州オースティンで毎年3月に開催される音楽、映画、テクノロジーなどのテーマが融合した総合イベント)も、87年当初は音楽祭として始まり、映画がテーマに加わり、その後テクノロジーなど新しいジャンルを加えて盛り上がっていたので、我々もそうやって盛り上げていけないかなぁとぼんやりとしたアイデアだけがあったんです。

ただ、ぼくはIoTを人が泣いている絵文字だと思うくらい(笑)、そのジャンルでは完全な素人だったんです。そこで思い出したのが、あずさんでした。彼ならイベントの経験もあるし、テクノロジー系の引き出しも豊富だし、何より、いろんな情報が彼のもとに集まるサンフランシスコのキーパーソンになっていて「この人と一緒にやったらうまくいくかもしれない!」と思い立ったのです。それで、出会って半年経ったある日いきなりラブコールしました(笑)。

 

あ: 最初に出会ってから数か月間なんの連絡もなく、いきなりでしたからね。「これまで野外の無料だったフェスを、次回から会場を借りてクオリティー上げて有料にすんねん!」みたいな。

 

よ: そうなんです。元々J-POP SUMMITは野外の完全無料イベントで、それではできることが限られてしまうので、屋内の会場を借りてコンテンツを充実させて、代わりに入場料を取るという挑戦がありました。同時に、新しいテクノロジー要素を含んだジャンルを立ち上げることも大きな挑戦だったので、あずさんの力を借りるためにあずさん個人を説得にかかりました。テクノロジーエリアのプロデュースをまかせたかったんです。

 

 

あ: 猛さんの会社に呼ばれて、「一緒にやろう!」と、New Peopleの地下の打ち合わせスペースで熱弁されたのを覚えています。初めはポカーンとしてしまいました(笑)。

 

よ: 最初からトップスピードのスカウトでしたね。説得する気満々だったから! そしてあずさん個人の次は、あずさんの会社の説得でした。あずさんにテクノロジーエリアのプロデューサーとして場を仕切ってもらうにはキャパシティと時間を使う仕事だったので、あずさんの上司、つまり当時の富士通研究所アメリカの社長と、当時のあずさんの出向元だったニフティの役員に理解してもらう必要がありました。

そのとき両社にアピールしたのは、「あずさんの情報発信の仕方は、コミュニティの力を活用して、人から人へ情報が強く伝わるファンづくりを可能にしている、これまでに無い新しいムーブメントである」ということでした。彼がお台場にあったカルカルで働いている時期につちかったノウハウだったわけですが、一般的な広告代理店はいろいろな方法でマーケティングをしているけど、そのどれとも違って一番新しいマーケティングだと思ったし、それをJ-POP SUMMITで取り入れたいと思っていました。

あとは文武両道みたいな感じで、テクノロジーもカルチャーもわかる人ってあまりいないんですよね。それもアピールしました。それで当時のあずさんの出向元だったニフティの役員の松井くにおさんにはすぐに賛同いただけたんです。ただ、出向先の富士通研究所アメリカの役員の方を口説く必要があった。テクノロジーエリアを一緒につくっていくJETRO(日本貿易振興機構)や、経済産業省から出向していたサンフランシスコ総領事館のメンバーや、New People社員を連れて、みんなでスーツで臨みました。シリコンバレーでスーツを着たのは後にも先にもあのときだけだと思います!(笑)

そのとき運よく同席した、富士通研究所アメリカの元社長で、Executive Fellowの松本均さんという方が「いいじゃないか。やってみろ」と言ってくれて、あずさんがJ-POP SUMMITのプロジェクトメンバーに参加することが決まりました。

 

あ: ぼくとしては、50~100人規模のイベントはやったことあったけど、カンファレンスなんて初めてで正直よくわからなかったんです。でも、こんなに熱心に誘ってくれているし、おもしろいことは起きそうだからやってみようかな、と思って引き受けることにしました。今だから言えるけど、社内では「カンファレンスをつくるなんて甘く見ると大変だよ」「そんな文化祭みたいなことやってどうするの」という声もあったんです。けど、ぼくみたいな性格の人間は、そう言われると逆に燃えるというか(笑)。「じゃあ本気の文化祭の力を見せつけて、否定的な人たちを見返してやろう!」と猛さんと握手して、やる気に火が付きました。

 

よ: ぼく自身、できあがった大型フェスを引き受けることが多かったので、大きなイベントを1からつくることは初めてだったので難しかったですね。あずさんだけじゃなくて、他の外部からのメンバーの力なしには実現できなかった。仲間集めからはじまって、まるでスタートアップを創るみたいなプロセスでした。

 


「Same Page People」が精度高いコラボを生み出す

 

あ: これまで無料だった野外イベントが有料になったから、ビジネスモデルも変わりました。ステージもブースも規模が大きくなり、大きなスポンサーが必要になったんです。プロジェクトメンバーだった経産省やJETROの人も総出で、リスト作って片っ端からアタックするというような地道な営業をしていました。シリコンバレーに拠点を構える日系の大企業はあらかた当たりましたよね。

 

よ: 営業するにあたって、テクノロジーエリアをつくる意味や、やったらどうなるかのビジョンなど、今なら説明できることもゼロから生み出すことは簡単なことではなくて、毎週金曜夜にJETROサンフランシスコの会議室に集合してああでもないこうでもないと深夜まで話し合いました。本当に文化祭のような気分を味わった立ち上げの1年でした。今となってはこうして楽しかったと思えますが、当時は楽しいながらも激しくきつかったですね。

 

あ: 本当にきつかった! 富士通やニフティの本業との両立どころか、J-POP SUMMITが本業になってましたよ(笑)。けど、2015年のJ-POP SUMMITが終わるときの感慨は今でも忘れられなくて……自分の原風景の1つになっています。みんなの力で大きなものを形にしたぞっていう感動がありましたし、それまで創り上げたどんな景色ともスケールが違っていて、後にも先にもあれだけの手ごたえは味わったことないです。あれから3回、開催しているけど、もっとやったような感じがしますね。

 

よ: 一緒にまわしてみてJ-POP SUMMITがどうなったかというと、世界一のおせっかいフェスになったと思っています。このフェスのユニークなところは、「大人のplayground」というコンセプト。来場者は砂場にスコップだけ持ってきてもらえれば、出展企業が出してきたショベルカーと一緒に楽しく砂の山をつくっているうちに「これってビジネスになるんじゃない?」となにか発見してもらえるような場を目指しているところでした。

普通のコンベンションでは区画を決めて、出展企業の方に出展スペースをお貸しするだけですが、J-POP SUMMITの場合は出展者・出演者が決まったら顔合わせを行い、どういう展示をやるかの相談からはじまり、出展者・出演者同士がネタをもちよって互いにコラボができるように我々事務局がおせっかい焼いていました。日本のカルチャーをアメリカでごちゃごちゃっと混ぜて、主催者と出展者と出演者と来場者が真剣に遊んだ結果、企画・アイデアやコラボを生み出すことを目的としたフェスと今では言えるようになりました。

 

 

たとえば、J-POP SUMMIT 2016では、スマートシューズメーカーの「Orphe」と歌手の「水曜日のカンパネラ」さんがコラボした事例があります。出展者同士のつながりをつくって、新しい発見を持ち帰ってもらいたいと取り組んだ結果です。日本国内では協力なんてできないような大企業同士でも、サンフランシスコの青い空をみた影響なのか(笑)敷居が下がっている上に「シリコンバレーにいる日系企業同士コラボしないでどうするんだ!助け合わないでどうするんだ!」という雰囲気も相まって、競合企業同士でコラボが実現したものがあります。「旅の恥は搔き捨てコラボ」と呼んで、そういうコラボをいくつもつくってきました。

どんどんコラボを続ける感覚って、すごくシリコンバレー的だったし、それこそが、あずさんの日本帰任が決まったときに、日本に持ち帰ってほしいなって思ったものだったような気がします。あずさんと一つ一つ丁寧にコラボを創っていって、その感触が時代の空気に合う気がそのときにしていて。

 

あ: 確かに、当時は日本でも「オープンイノベーション」って言葉使っている人は少数派でしたけど、ぼくらはイノベーションの種を確かに蒔いているぞっていう実感があったし、これをもっと広げたかったのはありました。結果、世の中がこの数年でコラボレーションの世の中に変化していって、どんどん追いついていったような印象がありました。

コラボのための打合せを経る毎に、猛さんのテクノロジーへの知識も徐々に増していって、どういうことを実現したいかがどんどん言語化されていった印象があります。カルカルのクライアントさんとの商談もそうなんですが、コラボって、相手が実現したいことを理解する上に、他者を巻き込むために自分自身が相手のやりたいことを言語化できないと実現しないですからね。すごく努力されたんじゃないですか?

 

よ: そうでしたね。最近、ぼくはシリコンバレーで“same page people”という考え方を広めているんです。自分無しで、「自分の創りたい世界とその理由、やっていること・やりたいこと」を完全に説明できる他人(仲間・ファン)を増やすというムーブメントです。

例えばJ-POP SUMMITの営業をする5,6人のチームがいるとすると、ぼくたちがやっていることを一瞬で相手に伝えるのはもちろんのこと、伝えた相手が自分たちなしで同じ説明をすることができるようにする。いったん相手にとって「おもしろい」とか「必要だ」と思ってもらえれば、たとえば相手が誰かから相談を請けているときに「あなたがやりたいと言っていることは自分とはぴったりではないが、猛さんという方のJ-POP SUMMITならぴったりだと思いますよ」などと勝手にほかのところで話してくれるんです。そうなるくらい相手に自分のことをインプットしたいという考え方です。

 

あ: それは精度高くコラボ企画を進めるうえでとても大事なことですよね!

 

よ: あずさんがカルカルで企業とのコラボを上手に実現できているのは、仲間づくりと、仲間へのインプットが上手だからだと思うし、同じようなことを違う仲間に対してもやっているからなんですよね。あずさんがシリコンバレーから日本に持ち帰った、いちばん大きなもののひとつが、シリコンバレーの起業家のように「自分はこれをやりたい」と言語化したり、ビジネスを助ける投資家やアクセラレーターのように相手の「こういうことをやりたい」という言葉を引き出して、受け止める文化だと思うんです。

ぼく自身もシリコンバレーにいるテクノロジー系やエンタメ系の企業や日系企業など、様々な人たちがどんな世界を創りたいのか、そのためにどんなことを考えてどんなことをしているのかを完璧に説明できるし、彼らにもぼくがいない状況でぼくのことを説明してもらえるようになれば、と思って活動をしています。

クライアントの担当者さんに対しても同じことを言って、実践してもらっています。すると、周りが担当者さんのファンになって、助けてくれるようになって、ビジネスが短い期間でまわるようになったりするんです。ぼくらの活動ってアウトプットとしてのイベントが目立つんですけど、実は裏ではイベントをやるだけではなくて、クライアントさんのやりたいことの言語化のお手伝いも、あずさんと地道にやっていたりします。海外で仕事をする上では特に、重要なことだったりするんですよね。

 

吉田さんが定期的に顔をあわせるシリコンバレーの「Same Page People」たちと

 

ワクワクする非日常が日常となるような世界を創りたい

 

よ: ぼくがあずさんの上司の方によく言ってたことがあります。「何かを発信する際、テレビCMを創るのもいいでしょう、ウェブ広告を打つのもいいでしょう。でも、あずさんは、コミュニティを創り、そのコミュニティから、人から人へFace to faceで伝わる一番強い情報の伝え方で、何かを発信する方法、ファンづくりを、可能にしました。少なくともシリコンバレーでこういうことができる日本人はいないし、もしかしたら世界にもいないかもしれないから、絶対に続けるべき」という説得をした記憶があります。結局あずさんがシリコンバレーでやっていたことは今もだれにもマネできていないんですよね。

 

あ: その頃、猛さんと毎日のようにそんな話をしていたのですが、それが「企業とコラボレーションしてイベントやコミュニティづくりを通じてビジネスに貢献する」という日本帰任後の活動につながっていきました。カルカルの中で、企業にも世の中にも役に立つ新規事業を立ち上げようという気持ちでした。

 

よ: 日本に帰ってからのあずさんは、カルカルプロジェクトに戻ってきてすぐにあれよあれよという間に案件を創っていきましたよね。

特に一緒にサンフランシスコで創り上げた三和酒類さんとの『いいちこらぼ』、伊藤園さんとの『茶ッカソン』、そしてサントリーさんのALL FREEを題材にした『FREEDAY FRIDAY』などの「プロモソン」と呼んでいるアイデアソンを基にした参加型イベントの型は、日本でも爆発的に広まりました。NHKさんとサンフランシスコでもコラボ開催した『ディレクソン』は、その後日本でNHK総合にも進出する注目のTV番組となり、地方各都市に活動がどんどん広がっていって、まさにカルカル流の真骨頂だなと思っていましたよ。

参加者の表情をみると分かるんですが、10秒のCMを100回見るよりも、カルカルが企画するイベントに1回参加するほうが、歩くCMみたいなアクティブなファンができちゃう。コラボした会社のプロダクトやサービスの魅力を周りの人たちに伝えられる“same page people”ができあがるんですよ!

かっこよく言えば、それがカルカルさんとNew Peopleが可能にするマーケティング、PRだと思っています。北米に進出したい日系企業さん相手に『プロモソン』のパッケージを販売しているのですが、ぼくはイベントの形をつくるところをやって、中身のプロデュースをあずさんにやってもらっています。

 


サンフランシスコで開催されたサントリーとのコラボプロモソン「FREEDAY FRIDAY」


あ: 
北米でのイベントだけでなくて、実は渋谷のカルカルでもコラボしてますよね。『シリコンバリズム』というイベントシリーズのJ-POP SUMMIT特集のとき。シリコンバレーに行ったことのある企業の人たちを集めて、こんなものを出展したとか、こんなコラボをしたとか、コラボのその後を紹介したりとか。テクノロジー系、音楽系、芸能系のいろんな人たちが登壇してくれて、ちょっとした同窓会なんだけど、独特なオープンイノベーションの雰囲気を感じられる会になっていました。

 

よ: ぼくらはJ-POP SUMMITにテクノロジーエリアをつくっただけではなくて、テクノロジー、食、旅行、アニメ、音楽、映画などたくさんあるジャンル同士の横ぐしを通すコラボという動きをつくり出していました。だから渋谷のカルカルのイベントにも垣根を越えて全ジャンルの企業が来てくれましたよね。

 

あ: あれって、日本だと意外とない光景だと思っていて。J-POP SUMMITは“Arts”“Eats”“Innovation”って3テーマを取り扱ってテーマにしているんですが、あとから思うと、カルカルもまったく一緒なんです。アイドル、サブカル、食、ビジネス、イノベーションなど様々なイベントがごちゃっとしている雰囲気とか、普段ステージに上がらない人たちがその日は主役になる、出演者と参加者が一体になって場を創るっていうコンセプトはカルカルそのものだったので、J-POP SUMMITやシリコンバレーそのものの雰囲気が、企業と参加者と出演者が立場を超えて一体になって場を創るというカルカルでの今の企業コラボ展開のヒントになっている気がしています。


よ: 
これまでは年1回開催だったJ-POP SUMMITも、会場側の都合で2018年に開催できなくなったことをきっかけに休眠しているのですが、これからは、J-POP SUMMITでつちかった、自分の得意技であるイベントづくりをフックに、ワクワクする非日常が日常となるような世界を創りたいと思っています。

少し前までは自分のことを、北米で日本発の新しいムーブメントの火をつける「着火マン」と呼んでいたのですが、最近は、「永遠の文化祭実行委員」、もしくは「日米を繋ぐイベントプロジェティスタ(=イベントのプロジェクトマネジメントのプロフェッショナル)」と表現しています。具体的には、イベントと言っても、アイデアソン、ミートアップ、音楽アーティストの北米ツアー、eスポーツ、カンファレンス、展示会等、本当に大小様々なイベントの企画・制作・実施・運営の仕事をしています。今後もJ-POP SUMMITに限らずカルカルさんとの関わりを増やしていきたいですね。

 

あ: 猛さんは、日本の企業がサンフランシスコに行くべき理由ってどんなことだと思いますか?

 

よ: ぼく自身、これまでアメリカでシカゴ、NY、ワシントン、サンディエゴなど複数の都市に住みましたが、サンフランシスコほどコンパクトに情報発信やマーケティングがしやすくて、文化とハイテクがうずまいて新しいものが生まれ続けているのはないと思います。フードトラックやサードウェーブコーヒーが生まれた地ともいわれたり、今ぼくがプロジェクトベースで関わっているクラフトチョコレートのパイオニアである「ダンデライオンチョコレート」など、いろいろな食文化の発祥の地だったりします。コワーキングスペースやシェアオフィス、シェアハウスもサンフランシスコが発祥の地ですよね。今も、日系企業が拠点を移し続けていますしね。

 

あ: 短期間で人を送ると化ける人は化けるから、そういうところも人を育てるのに良いですよね。ぼく自身、シリコンバレーに最初にいったのは3か月間の研修で、それがきっかけでマインドセットが大きく変化していった。カルカルは実は企業のシリコンバレー研修のお手伝いもしていて、New Peopleさんをはじめ、シリコンバレーの仲間たちにも協力頂いているのですが、同じように、もっといろんな人を連れて行きたいと思っています。

 

よ: 言われて思ったけど、ぼく自身もサンフランシスコで大きく変わった一人だと思いますね。

最近は起業家のみんなとか新規事業やっている仲間に感化されて、やりたいことをやるようにしていて、たとえば香りが好きなので香水の調合をしてみたいと思っていたりします。あとはファッションが好きなのですが日本には1年に1回くらいしか帰らないので良いタイミングで好きな服が買えないから、自分で服を作り始めました。すると、ブランド名は何にしようか、ロゴはどうしようか、とまた新たな楽しみが出てきます。

あとね、最近、イベントにかかわっていてよかったと思う瞬間があって。

先日、アメリカの学校ではなくて土曜日に日本のカリキュラムで教えてくれる日本語補習校の入学式に参加する機会がありました。その入学式が日本式そのものだったんです。そこで校歌斉唱のときに周りの保護者の方が泣き始めて、ぼく自身も泣いてしまいました。その校歌はもちろん初めて聞いたし、ものすごく感動する歌でもないのに、このシチュエーションと空気感に心打たれたんです。

ドキドキを隠せない新入生が1人1人名前を呼ばれて起立していき、その後荘厳な雰囲気のなかで校長先生の話を聞いた後に校歌を聞くとこんなにも人の(親御さんの)心は揺れるんだ!と思ったんです。それで、見渡したら周りの来賓や保護者の方々みんな泣いていました。いろいろなポイントが重なったからだと思うのですが、これがまさに、リアルな場の力だなって。

その瞬間、ぼく自身もそういう場を創っているんだと。日々、イベントというリアルの場で人の感情を直接揺さぶっているんだとあらためて実感して。そんな仕事に関われてよかった、もっともっと極めていきたいと感じたんです。これからもリアルの場でたくさんの人を熱狂させたり感動させたりする仕事を続けていきたい、そしてイベントを通じて、ワクワクする非日常が人々の日常となるような世界を創りたいと思っています!

 

あ: 人の感情を動かして、参加した人たちの人生を変えるような瞬間をもっと一緒に創っていきたいですね。ありがとうございました!

(東京カルチャーカルチャー 廣橋ひかる)