「あらゆるものをイベントに!」渋谷のイベントハウス型飲食店

【 コラム 】

カルカル元マネージャー・瀬津勇人氏と語る「コミュニティの”共感”をビジネスにつなげる方法」

2020年01月07日

2016年12月に渋谷に移転、2017年11月にニフティから東急グループのイッツ・コミュニケーションズ株式会社(以下イッツコム)に所属をうつし、地域や企業と組みながら様々なイベントを展開している東京カルチャーカルチャー(以下カルカル)。今回は、2015年から2019年3月までの激動の時期にかかわり、カルカルプロジェクトの加速に大きく寄与した元マネージャー・瀬津勇人氏(せつさん)と、元部下でコミュニティ・アクセラレーターの河原あずが対談し、コミュニティを大事にして成長してきたカルカルの歴史と、大企業における個性的なプロジェクトのマネジメントの秘訣を伺いました。

瀬津勇人氏(左)と河原あず(右)

 

サンフランシスコでうどんを振る舞って知ったコミュニティの価値

 

あず:去年の春まで上司だったので、対談相手として客観的に振る舞えるかどうかはちょっと不安なのですが、そろそろせつさんがイッツコムをやめられてから時間も経って、カルカルの話を落ち着いてできる頃合いかなと思って、今回インタビューをオファーしました。よろしくお願いします。まずは、せつさんがカルカルにかかわるようになった経緯から教えて下さい。

 

せつ:はい、よろしくお願いします。僕はニフティのデザインチームのマネージャーをやっていたんですが、最初にお台場でカルカルができる時にロゴとかサイトのデザインを頼まれたんですよ。店が始まる何か月前にシンスケさん(横山シンスケ/東京カルチャーカルチャー店長、チーフプロデューサー)から店名を聞いて、サイトやロゴの制作をしたのがかかわるようになったきっかけですね。

 

あず:僕は2008年4月にカルカルにジョインしたのですが、当時はイベントが入らなくて……動員5人のイベントもあったし、月に2本しか入らない月もあったくらいでした。だけど徐々に定番イベントが2008年夏くらいから回り始めて、配属して半年経った頃には月に15本くらいはイベントが入るようになってきて、動員も安定してきました。当時は駆け出しだし、とにかく必死で、会社における立ち位置とか考えられなかったんですが、まだ担当外だったせつさんからみて、ニフティはどういう風にカルカルをとらえていると思っていましたか?

 

せつ: ニフティからすると、当時は事業トライアルみたいな立ち位置で、新規事業部署が、デイリーポータルZ(以下デイリー)の林さん(林雄司・デイリーポータルZ編集長)と一緒にイベントをよくやってたシンスケさんを迎え入れて立ち上げたんです。当初は別に、儲けろともそんなに言われてなかったし、ブランドに貢献しなさいともいわれてなくて。けどなんか、面白いことをやっているなと思う社員はいて、徐々に社内イベントをやるようになった。僕もそれで、デザインだけじゃなくて、ちょこちょことと、社内のイベントにかかわるようになったんです。社内イベントや、僕自身、世界一周旅行の経験者で、その様子をブログで発信してたこともあって、世界一周ナイトというイベントで司会をやったりしてました。僕の結婚披露パーティもカルカルでやったくらい、カルカルが好きで、もともとは1ファンでしたね。

 

あず:その後、割と急転直下で、カルカルのマネージャーになるんですよね。

 

せつ:2015年の4月に、ブランドデザイン部って部の部長に僕がなったんです。もともと僕が立ち上げたデザイン制作チームだけじゃなくて、ブランディングや宣伝、CSRをみるようになりました。そこに、カルカルとデイリーが加わったんです。

 

ニフティって、宣伝に使うお金があまりなかったから、デイリーとかカルカルを上手に活用してブランディングしてくれって当時の上司からは言われました。けど、カルカルって、チケット発券して飲食やってってビジネスじゃない?だから、ブランディングと関連が全然ないわけじゃないんだけど、ニフティのビジネスと基本関係ないから、どうしたらいいかなって考えていたんです。

 

あず:その後、せつさんがシリコンバレーに来て、一緒に活動したときに、次につながるヒントがあった気がするんですよね。その話を伺っていいですか?

 

せつ:ブランドデザイン部ができて、同じくらいの時期に、ニフティの新規事業開発部も見るようになったんです。シリコンバレーに社員を送って、リサーチして、そこから得た情報やネットワークを通じて、ニフティの新規事業を創ろうというチームでした。あずは、ニフティからサンフランシスコに送った最初の駐在員だったね。結果、シリコンバレーのスタートアップに出資したり、今カルカルが所属してるイッツコムと合弁会社のコネクテッド・デザイン社を創ったりしました。まあ、今でいうオープンイノベーションなんですかね。

そうそう、実は当時、会社を辞めようとしてたんですよ。どうせ辞めるから、上司のシリコンバレー出張に自分のお金で奥さんとついていって、美味しいものでも食べさせてもらおうと思ってたんです(笑)。

そしたら、そのタイミングで、RocketSpaceっていう、あずが当時拠点にしてた、UberやSpotifyを輩出したサンフランシスコのアクセラレーターでイベントやるっていうから、うどんを作って振る舞おうって話で盛り上がったんですよ。それでやってみたら大盛況で!あずも忙しかったと思うけど、よくうどん作りたいって話に付き合ってくれたよね。

 

あず:けっこう大変だったんですよ手配(笑)

 

せつ:「サンフランシスコうどんプロジェクト」って名前つけて、ロゴつくって、エプロンや箸につけてね。これがとても面白くて。

ミートアップのふるまい飯って感じでうどんを配ったら、アメリカの起業家やエンジニアに好評で.ニフティって会社のことはよく知らない人たちだったんだけどご機嫌になって「何か一緒にやりましょう」って言ってくれたんだよね。サンフランシスコのコミュニティ、すごいなってそのとき思って。

あず:サンフランシスコから日本に、コミュニティ活動やイベントには価値があるってずっと伝えていたんだけど、そのときまであまり日本のスタッフに伝わらなかったんですよ。けど、せつさんは、うどんをふるまうことで、一発で理解してくれた感じがしました。

 

せつ:ああいうミートアップでいきなり「新規事業を一緒にやろう」とはならないとは思うんだけど、そうやっていろんな人と仲良くなれて、伊藤園さんとかいいちこの三和酒類さんとかが協賛してお茶やお酒出してくれて、ヤマハ発動機さんとか日経新聞さんとか日本の会社も一緒にプレゼンしてくれて。この感じが、面白かったんだよね。

そんなサンフランシスコの積極的な、ポジティブな雰囲気に触れて、これをもっとやったら絶対に面白いって直感的に思ったんですよ。「弱い紐帯(ちゅうたい)」って言葉は後から知ったんだけど、強い利害関係のない弱いつながりがビジネスにつながっていくっていう考えがあって。ニフティだけで新しい事業をつくるのは難しいけど、面白い人たちをつないで、みなさんに対して開いていける場をつくっていったら、きっと新しいことが起きるって妄想が膨らんだんです。

RocketSpaceでのイベントの様子。よくテーブルをみるとうどんロゴ入りのお箸が。

 

妄想から実現したカルカル渋谷移転~イッツコム移籍

 

あず:そうこうして妄想を膨らましてるタイミングに「カルカルの渋谷移転」っていうせつさんの大仕事がやってきたんですよね。

 

せつ:当時カルカルはお台場にあったんだけど、オリンピックのタイミングもあって、再開発の話が頻繁に出てきていたんです。そうしたら、渋谷に東急のいい物件を見つけて。移転費用を試算して、ニフティの役員会にかけることになったんです。

その役員会の資料で「渋谷だったらこんなことができてこんなメリットがあります!」っていうのを妄想でまとめたんだけど、そこにさっき話した「コミュニティとオープンイノベーション」って、シリコンバレーっぽいキーワードを混ぜたんだよね。

ちょうどそのころ、カルカルでは、ローソンさんとか三和酒類さんとか、自治体さんと一緒に、プロダクトや地域を盛り上げるイベントを開催してたんです。ファンがついている企業プロダクトや地域のPRイベントが盛り上がりを見せてたから、これの延長で、いろんな会社と組んで、案件をつくっていくのって、面白そうだなと思ったんですよね。

その最終プレゼンではいろいろなコストがかさんで、移転費用も当所の見込より結構な金額にふくらんで。けど、役員会で妄想をきちんと話したら理解してもらえて通っちゃったんです。

 

あず:実は、今の東急グループとの関係はそこからはじまっていたんですよね。サンフランシスコから日本に出張できたとき、僕がサンフランシスコで知り合った東急の方にカルカルの構想の話をしにいって。それで、せつさんが、さっき言ってた妄想の話をしたら「ぜひ誘致したいので全力でサポートします!」と東急の担当の方に言っていただいたのを覚えています。

その時、せつさんと僕が話していたのは、渋谷の再開発の話でした。東急からサンフランシスコでいろいろ聞いていた再開発の青写真を伝えて、カルカルの入るCocotiの隣に竣工する渋谷キャストは再開発の起点になる場所だから、東急には未来の話を伝えたほうがいいって話をしていたんです。

 

せつ:そうそう。そしたら東急の担当の飯沼さんという若い方が感動してくれて。東急の中でも、カルカルを入居させるメリットをさんざん言ってくれたそうです。そうやって、いろんな方の協力で実現したんです。


せつさんが実際に東急へのプレゼンに使った「妄想」シート

 

あず:サンフランシスコきっかけで生まれたせつさんの「妄想」がなかったら実現しなかったでしょうね。大変だったけど、サンフランシスコでうどん振る舞って本当によかったです(笑)

 

せつ:その後、あずも渋谷移転直前のタイミングで帰任していたから、協力してくれそうな企業さんをつないでもらったりしてたんです。チャットサービスのChatcastの藤田遼平さんには、チャットでライブレポート書いてもらったり。CRM的な仕組みをいれたくて、ソーシャルチケッティングのPeatixを導入したりしました。Peatixは藤田遼平さんのお兄さんの藤田祐司さんが創業メンバーで、その後、カルカルでたくさんコミュニティのイベントをやってくれるようになったりして。カルカルに共感してくれる会社さんが、いろいろ協力してくれるのが本当にありがたかったです。

企業さんとのタイアップの数も増えていたんだけど、大事なのは、イベントプロデューサーと演者とお客さんだけでなくて、支援してくれる会社さんと関係性を築けたことだと思ってます。それが、とてもシリコンバレーのオープンイノベーション的な感覚だと思ったんだよね。

 

あず:こういう動きを僕たちは当時「カルカルネクスト」ってコードネームで呼んでいたんですが、渋谷だからできたっていうのがありますね。やっぱりお台場でやるよりも渋谷っていう、東京のど真ん中にそういう一緒に創れる場所があるっていうことが多分関わってくれた企業さんたちにとってみれば響いたんだと思います。広められた秘訣って今から振り返って分析すると、あったんでしょうか。

 

せつ:企業さんとのイベントを、CSRやブランディング活動の一環として位置付けていたんです。花川さん(花川郁雄・カルカル支配人)にも話して理解してもらって。キッズサイトを持っている会社さんと子ども教育について考えるイベントを共催したり、中学生を呼んでシリコンバレーについて教えるイベントをやったり……当時は、お金になるかどうかよりは、とにかく「カルカルがやる意味があることを。話題性のあるものをやろう」ってチームにも言っていました。そうしたら、いろんな案件ができて、いろんな影響力のある人がカルカルのことを外で口にしてくれるようになった。

その後、カルカルは2017年11月にニフティを離れて東急グループのイッツコムに移籍することになるんですが、東急も、カルカルのそういうところを評価して、興味を持ってくれたんだと思うんです。イッツコムにも、交渉の席で、カルカルがいかに「エンターテインメントシティ渋谷」という東急グループの構想に貢献できるかをずっと説明していました。すごく良心的に聞き入れて下さったなあと今でも思いますね。

けどそれはちゃんとイベントを通じて妄想のファクトを創っていて、いろんな協力してくれる人たちからの「カルカルはいいことをやっている」って評判が立っていなかったら、実現しなかったんじゃないかな。

 

コミュニティの共感を誘うことがビジネスにつながっていく

 

あず:カルカルではなくて、外の企業イベントをプロデュースするスキームもこの頃から生まれました。

 

せつ:もともとはシンスケさんが、人気漫画の「弱虫ペダル」のイベントを外の大きな会場でやっていたりして、外で案件をプロデュースする型はあったんです。

そんな中で、あずが、サンフランシスコで伊藤園さんと「茶ッカソン」というアイデアソンをやりだした。海外でもやれるんだから、日本でもやれるじゃんって、渋谷や六本木などで伊藤園さんや、他のパートナーと開催するようになったんです。

企業の巻き込み方も多様化してきました。ナースのコミュニティと一緒に「渋谷ナース酒場」というイベントを開催して、そこにオムロンさんのタイアップをつけて血圧計を提供してもらったり。ナース酒場は「看護師さんが未病について伝える」のをテーマにした、まじめなテーマのイベントなんだけど、それを、一見まじめじゃない感じでエンタメに見せて成立させているのは、カルカルの真骨頂だなと思います。

 

「渋谷ナース酒場」の集合写真では、オムロンヘルスケア株式会社が協賛した血圧計と記念撮影


あず:
僕が印象に残っているのは、渋谷移転後に、せつさんが時々「今月はこの日空いてるから、なんか渋谷でやる意味のありそうな面白いことやってよ」って、ふわっとオーダーしてきたことなんです。そのときに、僕は、今、渋谷のカルカルでやると面白いことってなんだろうって考えて、お題にこたえるように案件を創っていたなあって。それがいろんなユニークな案件を生む源泉だったと思うんです。

 

せつ:企業向けの案件を創っていったんだけど「お金をください」ではないアプローチで、「こういうことをやったらいいだろうということをやる」ことが、コミュニティの共感を誘うと思っていたんですね。それがめぐりめぐって、カルカルって面白いよねって評判につながって、リードにつながって、結果売上が立っていったんです。

カルカル絡みで出会った人同士が、一緒に事業つくったり、起業したりってたまに聞くんだけど、実際もっとたくさんあったと思うんです。そういう出逢いの機会を創っていこうと。僕らは、直接自分たちのビジネスにつながらなくても、出せる手札はどんどん出していこうって感じでやっていました。

 

あず:けど、カルカルはあくまでカルチャーのハコだから、企業案件もあるけれど、一方でいわゆるエンタメイベント、興行イベントも大事にしていくことで、結果バランスがとれているように思います。どんな案件でも満足度高いものをつくれるっていうのは本当に武器だなあと。

 

せつ:そうだねえ。企業案件だけじゃつくれなくて、(横山)シンスケさんとか、テリーさん(カルカル創設からかかわるイベントプロデューサー・テリー植田)とか、宮尾さん(宮尾亘・アイドル案件を得意とするプロデューサー)とか貝塚さん(貝塚賢一・企業案件などを担当)とか、みんなが面白いと思える案件をそれぞれ創ることで成り立っているんですよね。

後は、飲食店として大事なことも手を抜かずにやったのが大きかったと思います。カルカルのメシがうまいっていうのは、今はすっかり常連の間で評判なんだけど、お台場から渋谷に移るときに、飲食を委託しているZAPさんに、新しいメニューをしっかり考えてもらったんです。カルカルは飲食店ですからね。飲食のスタッフはすごく考えてくれて、何より、メニューづくりを面白がってくれたんですよね。若手のシェフを、テレビ番組でメニュー監修を担当していたけっこうな経験者が教えて鍛えて、メニューの中身をチューニングしていった。紙のメニューは僕が写真撮って、デザインして、推しのメニューがわかりやすいようにした。そうしたら飲食のクオリティも上がって、売上も上がったんです。

 

あず:すごくシンプルな話なんですが、「食」って、イベントにおけるお客さんの満足度に直結するんです。だから、来場した人がカルカルでご飯食べて、「イベントやるならカルカルがいいな」って思えるようになったというのはとても大きかったですね。

 

せつ:飲食もそうだし、オペレーションもそうだし、みんなお互いに信頼してプロの仕事をしている。プロに現場をまかせられる安心感がカルカルは大きいんです。カルカルって毎回、イベントの形態も違うじゃない。けど、どんな突飛なイベントをしても、現場のスタッフが信頼にこたえて、きちんと回してくれる。外のイベントやってみるとその違いがよく分かりますよね。弁当の手配したり、導線つくったり、スタッフ手配したり、やってみると大変だもんね。

僕がマネージャーとしてやってたのは、ちょっとした事業管理のようなことと、ちょっとしたアイデアを出して、方針を立てたことなんだけど、それをプロのイベントプロデューサーや、飲食のスタッフや、ADたちや、経理の人とか掃除する人とかが、それぞれの領域で答えてくれてたのが、ドライブがかかった理由だと思うんです。

 

カルカルを支える「カルチャーづくりのプライド」とは

 

ステージ右上にあるロゴの「Shibuya」部分は元々「by  Nifty」だったが、イッツコム移籍時にせつさん自ら作り直したというエピソードが。

 

あず:卒業した今だからこそ、客観的に振り返っていただきたいんですが、マネジメントの側面でせつさんが気にしていたポイントってどのあたりなんですか?

 

せつ:まず花川さんに頑張ってもらって、イベント単体の売上とか利益率とかをみるようにしたのは大きかったと思います。けどお金をみること自体じゃなくて、お金だけじゃ面白くないから、売上利益だけで判断しない。お金というものさしを分かったうえで、これは儲からないけどきっと意味があるからやろう、という判断ができるようになったのが大きかったんです。

カルカルでやるべきかどうかっていうのは、わけがわかるか、わけわからないかって判断ではないんです。わからないかもしれないけど、将来的にたぶん意味があったり、社会的には意味がありそうだからやろうっていう、そういう判断を大事にしていました。

 

あず:それがすごく絶妙なバランスで今もまわっていると僕は思っているんですけど、あえて、やり残したことがあるとしたら、なんだったと思います?

 

せつ:カルカルの理念のようなものを言語化するところまではできなかった。お金の管理をちゃんとやるようになったのはいいんだけど、本当は、お金以外のものさしもちゃんとつくればよかった。あまり、それはしてこなかったんですよね。両方のものさしがないと、結果、儲からないからこのイベントはダメだ!ってなっちゃうからね。けど、それは、今現場にいるみんななら、つくれると思うけどね。

僕がカルカルの担当になったときにまずみんなに言ったのが「とにかく、最高だった!って熱狂できるイベントをつくってくれ」ってことなんです。「面白いかどうかはよくわからないけど、なんとなく続ける」というのはやめてくれと。会場にきた8割の人が「まあ面白かったかな」というものよりは、10人でもいいから「超面白かった!」て言えるイベントを創ってほしいと。どれだけプロデューサーたちがそれを覚えていたかわからないけど、結果、エッジの立ったイベントは増えていったし、振り切れていった気がします。そしたら売上が3倍くらいになっていったんです。そこまでになるとは思ってなかったもんね。

そうするには、大外しか大ホームランかっていう案件を、月に何本かでも意図的につくっていかないとダメだと思っていました。そうしないと、現場がどんどん安パイな、バントヒット狙いみたいな方向に向かってしまうなって。カルカルの多様性がなくなって、ただのイベントホールになってしまうのは誰も幸せにならないから。

「月に数本でも、とにかく熱狂できることをやってほしい」って最初に宣言して言い続けるのって当時大事だったんです。チームの行動がそっちの方に向くからね。結果、お金をとれる案件も儲からないかもだけどエッジ立った面白い案件も、いいバランスで回っていった。プロデューサーもそれぞれ全然個性が違うんだけど、それぞれの個性が発揮されてて、多様性が生まれて、それが今も続いていると思うんです。それで案件が増えたり、取材が増えたりしていった。最初は渋谷移転しても空きが多かったんだけど、今はほぼ毎日まわるようになっていったんですよね。

 

あず:カルカルの資本は東急グループになり、その東急グループが進める再開発で、渋谷の街も、周辺の環境も大きく変わってきています。長くカルカルをマネジメントしてきて、数々の変化を当事者として体験してきましたが、その経験から、変化に対してプラスのアウトプットを出していくには何が大事だと思いますか?

 

せつ:今のことは今のスタッフが考えればいいんだろうけど、僕が担当してたときは、とにかく「カルチャーを創る」って宣言して、そこにプライドを持つことが大事だったなと振り返るとあらためて思いますね。東急もパルコも、渋谷で頑張っているけど、カルチャーを創ろうっていうプライドがあるじゃない。カルカルは、名前からして「カルチャー」だからね。カルチャーを創る!っていうのが最初にあったから、渋谷の人たちとこんなに移転してすぐに仲良くなれたと思うんです。

もともとカルカルは、ニフティが横山シンスケさんっていう異色人材を迎え入れてはじまって、12年経っています。資本も何度か変わって、なんでうまくいき続けているかっていうと「やりたいからやる」って姿勢を崩さずにやってきたからじゃないかな。それがこういうリアルな体験の価値がより高い時代になっていって時代が追いついたっていう。面白いことをやり続けているから、面白いこと探しをしている人たちに刺さっているんですよね。これを東急グループのみなさんにも理解してもらえて、これだけ続けられているのは、本当にすごいありがたいことだと、離れてみて、1カルカルファンとしての視点に立ってみても思います。

 

あず:そうですね。もうせつさんは現場から離れたわけですが「1カルカルファン」として、こういうイベントをやってほしいっていうリクエストありますか?

 

せつ:外国人向けのイベントをやってほしいなあ。渋谷は外国人増えていて、欧米系の人たちが多い街じゃない。英語しゃべれるとかしゃべれないとかどうでもよくて……たとえばシンスケさんのやっているイントロクイズナイトって語学力いらないじゃない?あと、海外の人って、ドラゴンボールのアニソンとかを、へたくそだったりするけど片言の日本語ですごく楽しそうに歌うじゃない? 音楽イベントとかダンスイベントとか、直感的に楽しめるようなものをやると、すごく盛り上がると思うんだよな。

とにかく、カルチャーカルチャーなんだから、世界に常に新しいカルチャーを発信し続ける、面白いことをやり続ける、そんな場であり続けてほしいなって思います。もうやめちゃったから、無責任に好き勝手言っちゃって申し訳ないけど(笑)あずもちゃんとカルカルで新しいネタやれよ!

 

あず:肝に銘じておきます(笑)ありがとうございました!