『廃線跡の記録3』出版記念スペシャルトークライブが開催決定!ワンダーJAPAN presents『廃線跡の記録3』出版記念スペシャルトーク!! ~廃隧道、廃橋梁、廃車両、廃軌道…廃線跡巡りはやめられない~ライブレポート(11.03/10開催)
2012年04月11日
全国各地に残る数々の廃線跡を誇張することなく美しい写真で紹介した
人気ムック『廃線跡の記録シリーズ』の”第3弾”がついに発売!
『廃線跡の記録3』 には、
・40年以上山の中に眠り続けて近年掘り起こされた愛岐トンネル群
・枕木がわずかに残る尾小屋鉄道の廃橋梁
・工事中断したまま放置された未成線
…等々、全国35路線の廃線跡が収録されており、
バラエティに富んだ執筆陣がそれぞれ独自の視点から
非常に貴重且つ詳細な資料を寄せてくれている。
その執筆陣が本の発売日を記念してお台場に大集結!!
本の見どころや本には掲載できなかった特ネタの紹介、
撮影時の裏話、エピソードなどを語り尽くす!
客席は鉄道ファンをはじめ、地図好きな人、廃道好きな人、
廃墟マニアの人…等々、様々な分野の人達で埋まり、
皆、思い思いに廃線跡の濃厚な魅力を堪能していた。
3月10日発売!!
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物販コーナー
「廃線跡の記録シリーズ」が並ぶ。
もちろん、この日発売となった「廃線跡の記録3」も!
カウンター席にはこの日のプレゼンターの一人である
クロスケさんの展示コーナーも設けられた。
美しい工場の写真
習志野演習場周りの1万分の1の地図
この日のイベント限定メニューを紹介!
廃線白カレー
(白銀に染まる北の大地の廃線をイメージ!)
廃線駅そば(巨大かき揚げ付き)
(廃駅でかつて名物だった駅そばをイメージ!)
客席の誰かがツイッター上でつぶやいていたが
「かき揚げ付き」というよりは「”そば付き”のかき揚げ」と言った方が正しい。
それぐらいかき揚げが”超巨大”だった。
(カルカルのイベント限定メニューはしばしば暴走するのが楽しい)
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【第1部】
司会進行はワンダーJAPAN編集長の関口勇さんと
NPO法人J-heritage理事長の前畑洋平さん。
関口さんが編集長を務める「ワンダーJAPAN」は
日本の大手マスメディアがあまり触れたがらないネタ、
例えば、B級スポット、B級グルメ、工場、ダム、廃墟などを
あえて積極的に取り上げる超独自路線の人気雑誌。
そんなマニアックな分野を取り扱ってきた関口さんであるが、
「廃線跡」はその中でもひときわマニアックな分野であり
当初は扱いや紹介の仕方に迷いがあったと語る。
しかし、日本の近代産業の発展は鉄道に依るところが大きく、
その光と影の部分をビジュアル的に伝える雑誌の存在価値は高い。
「廃線跡の記録」シリーズは読者の好評を得て3冊目の刊行となった。
関口さんの熱い想いが形になったものと言える。
1)クロスケさんのプレゼン
トップバッターはクロスケさん
クロスケさん
「軍事廃線を探すには、まずミリオタになろう!」
軍事廃線は分野として鉄道というよりはミリタリーに近いようだ。
具体的には自衛隊の一般開放行事などの時などに
普段は入れない資料館などが見学できるチャンスがあるので
そこで昔の地図や昔の航空写真をチェックすると良い。
国土地理院の国土変遷アーカイブなどでも
昔の航空写真を検索・閲覧することでき良い資料となる。
軍事廃線おもしろさは思わぬ場所にあること!
軍用線は戦時中に軍隊のために引いたものなので
戦後は全く別の場所になっているケースが多い。
軍事廃線を探す手順としてはまず陸軍境界を探すことから始める。
陸軍用地との境界を示す石を「陸軍境界標石」と呼ぶが、
この標石は日頃見慣れた街角や住宅地に立っていることも多い。
さて、今回、クロスケさんがプレゼンしてくれたのは
代表的な軍事廃線である「帝国鉄道連隊」の廃線跡だ。
都市化が進む千葉県北西部にそれらは残っている。
この地域には、昔、陸軍の施設が多数存在していた。
そこに多くの支線に別れた軍用線が敷かれていた。
赤:第一連隊 青:第二連隊の軍用線
(緑の部分は確証には至っていないが「怪しい場所」)
ここは第一連隊と第二連隊がダブルで見られる最強スポット!
総武快速線の線路が第一連隊の軍用線の跡(赤) で、
交差する新京成線の線路が第二連隊の跡(青)となっている。
軍事廃線の周囲には様々な軍の施設跡が点在している。
それらを探して歴史を感じて見るのも非常に趣き深い。例えば、
また、千葉モノレールも廃線跡を走っているが、
沿線の公園には鉄道連隊のマークの入った隧道も残されている。
こういった面白い景色が楽しめるのも軍事廃線探索の楽しさだ。
どんなに風景が変わっていたとしても
なんらかの手掛かりは残っていることが多いようだ。
軍事廃線跡だけでなく当時の車両も非常に興味深い。
皆さんも身近な軍事廃線跡を探してみては…?
2)J-heritageさんのプレゼン
J-heritageはメンバーに廃墟マニアが多数在籍し、
普通の観光ではない「廃墟感のあるツアー」を開催しているNPO法人。
日本の近代産業遺産を巡り、それらを記録することで
先人達が築いてきた平和で豊かな生活基盤に感謝するとともに
産業発展がもたらした負の一面(環境破壊など)にも
逃げずに真正面から向き合って考えようという姿勢を貫いている。
J-heritageの前畑温子さん(左)と前畑洋平さん(右)
(前畑洋平さんは関口さんとともに本イベントの司会進行も担当)
プレゼンでは「廃線跡の記録3」において
J-heritageさんが執筆担当した部分について
取材時のエピソードなどを交えて紹介してくれた。
1つ目は…
”旧福知山線の武田尾から道場駅の間に残る廃線跡”。
旧福知山線の廃線跡については過去の「廃線跡の記録」シリーズの中で
生瀬~武田尾間が既に紹介されている。
生瀬~武田尾間の廃線跡は廃線マニアに人気の高いスポットで
一部はハイキングコースとしても整備されている。
しかし、今回の「廃線跡の記録3」で取材した武田尾~道場間は
完全に山の中に埋もれてしまっている状態にあるとのこと。
工事現場の人に交渉して立ち入りの許可を得たが
僅か15分という限られた時間で取材を行わなければならず
本に掲載された写真はどれもバタバタの状態で撮ったものらしい。
次に、愛岐トンネル群。
40年以上山の中に眠っていた廃隧道。
近年、地元のNPO法人によって掘り起こされ
貴重な産業遺産、地域の宝として活用が模索されている。
レンガ隧道群としては日本で最も多い13基から成る。
最後は「廃線跡の記録3」の表紙にも使われた京都市電。
写真は2007年、まだNPO法人を立ち上げていない頃に、
前畑(洋)さんが一人の廃虚マニアとして個人的に撮ったもので
今回の表紙として写真を使うにあたり
遊園地を経営していた管理会社に連絡を入れてお願いをし、
掲載許可を快諾してもらったとのこと。
しかし、当時の事情を知る社員は残っておらず
車両に関する詳しい事情は聞くことができなかったとのこと。(残念)
廃墟マニアには観覧車も人気だった
(※遊具・廃車両とも現在は撤去されています)
前畑(温)さん
「J-heritageでは今後もこのような旅を通して
色々な人とつながるツアーを企画していきます!」
3)かもすさんのプレゼン
かもすさんは週末探検隊に所属する廃墟マニア。
青木ヶ原などの樹海探険家でもあり鉄道ファンでもある。
鉄道に関してはもともとは「現役線が好き」とのことだが、
廃墟や樹海で培ったノウハウを基に高い廃線探査能力を持つ。
今回のプレゼンでは「廃線の調査の仕方」と
「廃線の記録3」の取材における裏話を披露してくれた。
題して、「航空古写真と秘蔵写真で語る廃線」。
廃線の調査方法には色々あるが
航空写真(特に古い航空写真)や地図が非常に役に立つという。
これはテキサス大学の図書館のホームページ。
アメリカ軍は第二次世界大戦時に日本を空爆するための資料として
航空写真や航空写真から起こした地図などを作成していたが、
それらがテキサス大学の図書館に大量に収められている。
これらを使って廃線跡を追うと非常に有利である。
また馴染みのあるツールとしてはGoogleマップ、Yhaooの地図。
あとは国土地理院の電子国土ポータル等が利用できる。
ここで注意したいのは
それぞれで得られる情報が違ってくる場合があること!
例えばGoogleマップとYahooの地図では
別系統なので当然、載っている情報も異なってくる。
複数の資料を上手に比較することができれば、
”得たい情報”に近づける可能性もグンと高くなる。
かもすさんは「廃線跡の記録3」で紹介した廃線跡を題材に
その実例を紹介してくれた。
まず、中央本線の旧線区間(甲斐大和~勝沼ぶどう郷)。
…と思いきや、、、
この旧線区間は長いトンネルになっていて
途中40mだけトンネルが途切れている箇所がある。
かもすさんはその現地取材へと向かった。
上下のトンネルの長さは既知なのでそれらの情報から
おおよその場所を推定して実際で捜索を行い、、、
しかし、かもすさんはトンネルを見つけるために
1時間ぐらい山の中をさまよってしまったと言う。
現地調査の後に気づいたらしいのだが、
実は電子国土ポータルの1974年ぐらいの航空写真で見ると
トンネルが途切れて線路が出ている箇所が分かる。
もう一例。三井芦別鉄道。
三井芦別鉄道はかつて炭鉱が活況を呈していた時代に
北海道の中央部、三井芦別炭鉱とその炭鉱街に生きたローカル私鉄。
写真は頼城という場所から炭鉱までを結ぶ線路があった地点。
グーグルマップでは調べてもやはり何も出てこないが、
電子国土ポータルで1974年ぐらいの航空写真を見ると、、、
このスライド写真の中に今も残る橋台があるらしいのだが
森の中に埋もれてしまっているためさっぱり分からない。
しかし、古い航空写真で見ると場所の確認だけでなく
影から当時の橋の形状まで知ることができる。
このように複数の地図や航空写真を利用して
どのような情報を汲み取るかが重要なポイントと言えそうだ。
国鉄のDD13とほぼ同じ形状であるが
三井芦別鉄道のものは前面ライトが縦に1個ずつ増設されているなど
雪国仕様の改良が施されているのが特徴。
三井芦別鉄道のディーゼル機関車が3台作られたが
1台(DD501)は上の写真にあるように橋の上に保管展示されている。
残りの2台については、1台(DD502)は解体されたが
もう1台(DD503)は京葉臨海鉄道の千葉貨物駅に現存している。
DD13と並んでDD503(一番左)がある
(ライトの数で見分けが可能)
4)ムサシノ工務店さんのプレゼン
前半の最後は武部将治さんと一幡公平さんによる
同人誌制作ユニット「ムサシノ工務店」さん。
二人とも岡山県の出身であるが
同級生とか仕事仲間とかそういった知り合いではなく
松尾鉱山を探索しているときに出会い意気投合して
二人で廃墟系の同人誌を作るに至ったという。
現在の人気同人誌「ランズエンド」を発行している。
廃車両の魅力は今の車両にないデザインにあり、
昭和の懐かしい雰囲気が素晴らしいと語る…。
まずは広島県の鉄道模型店(現在は営業していない)前にある廃車両。
多くの鉄道ファンに愛されたEF58型機関車が置かれている。
EF5836を横から見たところ。車体が短くカットされている。
EF58型機関車は通常側面窓が5枚窓であるが
全172両のうち35号機と36号機の2両だけは
側面窓が7枚窓ある仕様となっており変形機と呼ばれている。
その貴重な変形機がこんなところに置かれていた。
ただ、車体は短くカットされ車内は朽ち果てて中はがらんどう。
保存状態は極めて悪いのが残念だ。
そして、もう一つの廃車両、
戦時中に作られた通勤型電車であるクモハ73383。
保存状態については鉄道ファン側と廃墟ファン側で
見方が異なってくるかもしれないが
近代を牽引した鉄道車両が形はどうあれ解体されずに
こうして残っているという事実は非常に興味深い。
続いてのネタは岡山県内で偶然見つけたというサシ581 34。
これは本には未掲載のイベント限定ネタ。
サシ581 34は食堂車で、それ喫茶店に使っていたというもの。
(残念ながら喫茶店は廃業してしまっていた)
廃業済みで誰もいないはずの喫茶店なのに
なぜかやたら視線を感じたという…。
この喫茶店の正体を知りたい…。(笑)
ところで、このような鉄道廃車両は全国各地に存在するが、
最近では行政が処分に乗り出すケースもあり、
今後、急速に姿を消すのではないかと言われている。
車両に断熱材と使用されていたアスベストの除去を理由に
霧島市が撤去・解体に乗り出していた。
幸いこの車両はその話を聞きつけた県内のリサイクル業者が
市から10万5千円で落札して難を逃れたが
1970年以前の古い車両にはアスベストが使われているケースが多く、
そのまま放置できない事情もある。
10万円で落札できるならどこかの団体で買い取って
保存してあげればいいじゃないかと思われるかもしれないが、
車両自体は10万円でもアスベストの除去には800万円の費用がかかる。
そんなに簡単な話ではないようだ…。
近代産業象徴でもある鉄道廃車両だが
負の一面を持っていることも頭の片隅に留めておきたい。
ちなみにこの機関車はリサイクル業者が運営している
観光施設の展示物として無事、再出発を果たしている。
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【後半の部】
5)芝公園公太郎さんのプレゼン
公太郎さんは廃墟をメインに活動。
(人気廃墟サイト「廃墟デフレスパイラル」)
「廃線跡の記録」シリーズでは
ケーブルカー、ロープウェイの廃線跡を担当している。
公太郎さんは以前、編集者の方と
「ロープウェイが解体される前後の写真を撮って
ビフォーアフターみたいな見せ方をすると面白いね!」
という話になって、そのための写真を撮ってきたのだが
ページ数の関係で本の方ではボツになってしまったという。
それをBGM付のスライドショーにまとめて披露してくれた。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
公太郎さんは
「建物や車両もレールも残った状態での廃線が好き」
とのことで、そう考えると廃線を見られる時期は
そんなに長くはないと言える。
特にロープウェイはロープが切れたら非常に危険であるため
速やかに解体・撤去されることが多く
廃線としては見られる時間はかなり限られている。
「廃線跡の記録」シリーズに掲載されている
ロープウェイの廃線跡の写真は旬な時期を逃さない
公太郎さんのフットワークの軽さに支えられている。
(根は文系だがカメラを持つと体育会系に豹変するらしい)
さて、今回、「廃線跡の記録3」で公太郎さんが担当したのは
愛宕山鉄道鋼索線(愛宕ケーブル)とラクテンチロープウェイ。
愛宕ケーブルは第二次世界大戦末期に
武器生産に必要な鉄の供出のために廃止された鋼索線だ。
ケーブルカーは急斜面を登っていくので
軌道跡を歩いているだけでどんどん気候が変わる様や
周囲の植生が変わっていくのが実感できるらしい。
最大の見どころは機械室!
山の急斜面で土地が十分に確保できなかったのか縦に長く
非常に立体構造が目立つ作りになっている。
6)竹内昭さんのプレゼン
「廃線の記録3」では立山砂防軌道と青海石灰軌道を紹介。
プレゼンでは本に掲載できなかった写真を紹介してくれた。
まず立山砂防軌道。
国交省管轄の工事トロッコ軌道で現在も使用されているが、
上流側と下流側、双方に廃線区間がある。
現在、下流側の起点は千寿ヶ原だが、以前は千垣が起点であった。
立山カルデラ内は災害復旧工事現場なので
一般の立ち入りはできないが、立山砂防博物館主催の
体験学習会に参加すればトロッコに乗ることができる。
ただ、定員が少なく抽選がなかなか当たらず
抽選を通っても悪天候による中止も非常に多いらしい。
竹内さんは運よく抽選をクリアし、天気も大丈夫で
トロッコに乗ることができたとのこと。
水谷から先、白岩までの軌道は廃止されたが
水谷の事務所周辺でその軌道跡を見ることができる。
続いて青海石灰軌道。
その下を別の軌道が通っていた。
直角クランクやかなりズレた軌道など
全般的に不思議と言うか謎の多い軌道跡となっている。
7)LEVEL7Gさんのプレゼン
なな爺さんが追っているのは…
ロリ鉄とは要するに
「未成線」を愛でる特殊ジャンルの鉄道ファンだ。
なな爺さん
「開通していない鉄道の
未完成の橋脚やトンネルって美しいよね!」
お客さん
「………………。」 ←かなり微妙な反応(笑)
なな爺さんも初めから未成線が好きだったわけではなく、
しかし、徐々に未成線の魅力にハマり出し
今では異常なほどのロリ好(※)きに…!!
※鉄道の話ですので誤解なきよう…
では、そのロリ鉄の魅力とは…?
誰にも知られないままトンネルだけが残っている風景。
確かにグッとくる要素は満載だ。
今は恐らく桁がかかっていると思われるが、
このように橋脚だけが突然目の前に現れると
「おおっ!」と声をあげてしまいたくなるのは確かにある。
廃線跡の記録2に掲載した
名羽線の廃線跡を真冬に車で走行した動画を披露。
鉄道は人々の想いから出発する。
「ここ鉄道が欲しい!」「鉄道で暮らしはこんなに変わる!」
などなど、様々な理由から工事がスタートしていく。
しかし、道路網発達による自動車社会への変化や
産業構造の変化、地域の過疎化など
着工当初と違う社会情勢に飲み込まれ、
赤字を垂れ流して、廃線への至っていく鉄道が多い。
中には開通前に工事が止められてしまい
未成線のまま廃墟化するケースも多々存在する。
なな爺さん曰く
「どんなにダメな子でも期待されていた時期があったんです!」
その一番期待されていた時期が
まさに”未成線”の時期と言えるかもしれない。
そういった意味ではロリ鉄という言葉の是非はともかく(笑)、
未成線から鉄道を考察していくアプローチは素晴らしいと感じる。
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【まとめ】
「廃線跡の記録3」の多彩な執筆陣の中から
前半4組、後半3組の計7組がプレゼンを行ってくれた。
皆さんそれぞれ得意分野を持っていて
その分野で培った洞察力を武器に廃線にアプローチしており
非常に面白い発表ばかりを聞くことができた。
関口さんが本の前書きでも述べているが
日本は鉄道大国であり、鉄道の発達とともに近代化を実現してきた。
しかし、一方では車社会へ変化、地方の過疎化、
産業の構造変化などにより、巨額の赤字を垂れ流して
廃線と追い込まれる路線が続出している現実もある。
それ故に政治家や大手企業、大手マスメディアは
廃線には触れたからず「なかったこと」にしたがる傾向が強い。
しかし、廃線はかつて多くの人の想いが詰まっていたものである。
野に放置され自然に侵食された廃線跡をこのように記録し、
本として世に出してあげることは非常に意義のあることだと思う。
関口さんによれば第四弾も計画中らしい。
この「廃線跡の記録」シリーズが多くの人に愛され、
今後も長く続いていくことを願いたい。
…なんて、難しいまとめの文章を書いてみましたが
純粋に写真集としても非常に素晴らしいので
まずは是非、「廃線跡の記録シリーズ」を手に取ってみてください。
(ライター・GAMA)