Spiral Life Bootleg Night レポート 2008.6.8
2008年06月17日
Spiral Lifeファンによる、Spiral Lifeファンのための集い
誰にでも、語りつくすまで語りたいテーマというのが
ひとつやふたつ、あると思います。
僕らにとって、Spiral Lifeは、そういう存在でした。
Spiral Lifeを知っていますか?
ご存じない方も多いかもしれません。
1993~1996年に、Jポップという言葉が
定着しようとしてた時期に活動したバンドです。
おりしも、時は日本のポップス業界が華やぎ、
ミリオンヒットという言葉に列島が踊っていたころ。
そんな時代にSpiral Lifeは、あの横浜アリーナを
一万人の観客で埋め、その日を最後に活動を終えたのでした。
Spiral Lifeをファンみんなで振り返り、語りつくすイベント。
それが「Spiral Life Bootleg Night」です。
スパイラルライフ(左、車谷浩司、右、石田小吉)
今回イベントの仕切りに名乗りをあげたのは、
彼らの墓標のある「横浜アリーナ」で
(正確には横アリの付帯設備の「サウンドホール」で)
SLN(Spiral Life Night)という10回忌イベントを主催した
exhivisionのアオキさんと、イワホリさん。
ゲストには、Spiral Lifeのファンクラブイベント
「spiral psychedelic backyards」を主催する
mixiのSpiral Lifeコミュニティの管理人、
「paveu」ことクボさん……
……そして、数多くのクラブイベントに登場し、
ネット上では今をときめく「中田ヤスタカ」の
ウォッチサイトを運営していることで知られる
気鋭の論客、のりしろさんを迎えました。
左から、イワホリさん、アオキさん、のりしろさん、クボさん、あず。
全員、ばっきばきの音楽好きで、
あちこちの音楽イベントに顔を出す、
ポップスに魂を売り渡した方々です。
そして、Spiral Lifeというバンドが
そんな彼らを、音楽フリークスへと導いたルーツなのでした。
お台場が、90年代ポップスフリークスのメッカになるといい
約束の17時、立場も所属も違う、だけど、
「Spiral Life」というバンドを共通点にもつお客さんが
会場に集まってきました。
お客さんを最初に迎えるのは、
壁に貼り付けられた、彼らの写真たち。
貼っているだけで気持ちが盛り上がりました。
スクリーンには、彼らのPVを爆音で流してました。
外からは、Zepp Tokyoで当日ライブが行われた
徳永英明のファンらしき人々が覗きこんでいました。
Zepp Tokyoはその日、90年代を代表するふたつの
アーティスト一色に染まったわけです。
お台場が、90年代Jポップフリークのメッカになるといいね。
そんなことを出演者で、楽屋で話していました。
彼らの歴史を、スクリーンで振り返り中
音楽雑誌の切り抜きたち、秘蔵動画の数々、
関係者の証言でSpiral Lifeの三年間を振り返ります。
90年代は、音楽雑誌というメディアが大活躍していた時代でした。
まだ、ネットが発達する前のことです。
今みたいに、GoogleやYou Tubeを使って、一発どん!で
情報収集という時代じゃありません。
雑誌をむさぼり読み、テレビやラジオにかじりついて
情報を集めてた、そんな時代です。
思えば音楽好きにとって幸福な時代だったのかもしれないなぁ、と、
進行しながら思ってました。
彼らの真骨頂“サウンドオブマイジェネレーション”!
ヒストリーを一通り振り返ったあとは、
彼らの音楽の「元ネタ」のまとめ動画を振り返りました。
Spiral Lifeはさまざまな音楽を「元ネタ」として
自分たちなりに昇華して、「俺らはこういう音楽が大好きだ!」と
表現する音楽活動をしてました。公言もしてました。
元ネタを使って表現する音楽を
「サウンドオブマイジェネレーション」なんて呼んでました。
今だったら、2chで「パクリ野郎!」と叩かれてたかもしれない。
あんなバンドや、こんなアーティストみたいに。
お客さんからの投書で判明した、「FURTHER ALONG」ジャケットの元ネタ。
しかし、振りかえってみて思うのは、
元ネタを知るほど逆に彼らの音楽への愛着が増すという事実です。
客席は「あちゃー」と言いたげな苦笑の嵐でしたが、
その苦笑には、確かな愛情がこもっていました。
Spiral Lifeのファンって、そんな彼らの姿勢も含めて、
彼らが「紹介」してくれた音楽も含めて、
彼らのことが大好きなんですよね。
活動休止の横浜アリーナを振り返る
そして、活動休止当日を振り返る会場。なんとなく、しんみり
印象的だったのが、客席も巻き込んで振り返った
彼らが活動休止(事実上解散)した横浜アリーナのライブのこと。
彼らは素知らぬ顔で、普通のツアーファイナルとして横アリでライブをして、
後日、もう二人で活動をすることはないということを公にしたのでした。
「アリーナ席はパイプいすが並んでた。
今みたいにスタンディングじゃなかった」
「隣の席の中学生が少しでもステージを見たくて一生懸命
背伸びしてきゃーきゃー言ってたのが微笑ましかった」
……なんて会場の中の具体的な話から、
「当時福島にいて、チケットとれたけど、親に反対されて
上京できなかった。後で音楽誌で活動休止の事実を知り、号泣した」
「東京にいたけど、なんとなく彼らが横アリで解散をするという空気はあった。
情報源が音楽雑誌だけの地方にはなかったと思うけど……」
……という、ドラマを感じさせる話まで。
14歳のとき、会場にいったという方にインタビュー。
いわく「絶対解散するって思ってました」
横浜アリーナライブから11年が経とうとしているけど、
少なくないファンにSpiral Lifeがそれなりの大きさで生き残ってるのは、
そういう彼らがつくってしまった「ドラマ」の大きさのせいかもしれないなと、
ふと壇上で思ったのでした。
イベントは、石田小吉氏が活動休止後にリリースされた
ベスト盤ジャケットに書き残した、こんなメッセージで締めくくられました。
「思えばスパイラルライフとは、熱と光(とプラズマ)だけの
冷え固まることのできない新星のようでした。
これからも良き音楽が人と共にありますように」
これからも良き音楽が僕らと共にありますように。
そう思えるイベントを、まだまだやりたい。
そう思えるイベントができて、本当によかった。
(河原あず/カルカルスタッフ)